私は昔からヘラヘラとしていることが多く、それは相手に警戒されないためのいわゆる仮面の一つだと言うことはかなり若い頃から自覚があり、しかしこれをするだけで得られる恩恵を思うと、中々社会に出ている間はやめることができずにいました。
今「意識の10の階梯」と言う本を読んでいます。
グルジェフの”エニアグラム”(や水素)と中国から入って来た禅宗四部録の中の”十牛図”について書かれている本ですが、その中の「自己想起」について書かれている箇所に
「笑いとは、思考が停止してしまっているのに感情がそれをすり抜けて現象を受け入れてしまった結果の痙攣」
と書いてありました。
”笑顔”と言う表情を作るためには口を開けたり口角を引き上げるための表情筋の動きが必要で、これってある種の緊張状態であって、本当にリラックスしているときの人間の顔ではないですよね。。。(もちろん笑いにもいろいろな種類があると思うので一概には言えないところがありますが)
笑顔について考える時にいつも思い出すのが我が家の娘たちです。
特に次女は乳児の頃からいつもニコニコしていた長女とは真逆で、いつでも真顔でした。しかしこれは機嫌が悪いわけではなく、とてもフラットな状態の証だったのです。
いつも誰かを見かけるとニコニコしていた長女は外にいる時はほぼ泣くことはないものの、一歩家に入って玄関のドアを閉めた瞬間に泣き出すことがよくある赤ちゃんでした。
一体何でだろう、、、(そんなに家が嫌なのか??)と若かりし母親だった当時の私は思っていたのですが、今なら心境が分かります。
長女は緊張していたのです。
家の中といういつもの安全地帯から一歩外に出て、見るもの聞こえてくるもの全部が初めてだという刺激は、特に聴覚過敏のある長女にとって非常にストレスの伴うもので、おそらく脳はフリーズしていた。
赤ちゃんにも感情はもちろんあるので、フリーズした脳にそれは波のようにいつも漂って来ていたのだろうと思います。
家に戻れば安心してそれを表現できる→泣くという行為になっていたんでしょう。
そして真反対の次女は、生まれた頃からとても情緒の安定したよく寝る赤ちゃんでした。長女が全く寝ない赤ちゃんだったせいでいつでも睡眠不足、疲労困憊だった私には彼女はまるで仏さまでしかなく、「仏さま」と心の中で呼んでいたほどです(笑)
乳児検診などの問診で赤ちゃんの表情について問われるシートがあるのですが、次女の時にはいつも真顔の顔の欄に丸をつけていたのを思い出します。そして注釈をつけて”真顔ですが機嫌が悪いわけではありません”と書いていました(笑)
何が言いたいかと言うと、彼女はリラックスしていたのではないかと思うのです。そう言う時に人って笑顔ではないなと。
笑顔を先に作るとドーパミンが放出され気分がポジティブになると言われる、「顔面フィードバック仮説」と言うのがありますが、ずっとなんだか不自然なことだなあと思っていました。
ドーパミンやセロトニンなどのいわゆる快楽物質と呼ばれるホルモンによっていわゆる感情は規定される訳ですが、私の最近の関心はいかにホルモンによって左右されない精神を獲得するのか・・・と言うところにあります。
肉体の状態に左右されない精神性を獲得したいのです。
肉体はどうしても加齢やその他遺伝・環境に左右されてしまうのだけれど、精神性は自分の意思でコントロールが可能だと思うのです。
そしてそれを獲得するには肉体依存からの脱却ですね。
本来精神というものは肉体に依存していません。多くの人が思い浮かべる気持ちや感情というものは脳内の物質によって作り出された体の状態のことを呼ぶのだと思います。
精神性=スピリチュアリティと言うものはそこにはありません。
そしてその部分を開発していくためには笑顔は必要なく(というか毒かも)、まさに中庸な状態(真顔)、リラックスした状態によって導かれるものだと思っています。
注⚠️(でも若い方は真似をすると苦労するかも・・・社会性とはおそらく真逆のことです。笑顔を作っている時には”自分は今笑顔を作っているんだ”と認識しながらされることをオススメします、そうすると後が楽)
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