私が学んだアカシックのノウイングスクールでは、概念としてプライマリー(主軸)タイムラインとそうでないタイムライン(平行自己:パラレル)について学びます。
”今世が主軸なのか、または主軸として統合されているかどうか(自己覚知に至っている人)というのはその人の目を見ると分かります”
と、まだ東京のスクールに通う前に”叡智の道”を教える福岡のインストラクターの方のクラスに通っていた頃聞いたことがあり、え〜そうなの?と思っていたのですが、今では言われていたことが分かるようになりました。
プライマリーは今世のこともあればもちろん今世でないことだってあります。
10年以上前に通っていた覚醒のクラスでは覚醒することをたいそう祝福していて、そこには少し優劣の匂いがしたことにとても疑問を感じていたのですが、やはりそんなのはタイミングでしかなく、好みの問題でもあり、優劣があるという考え方そのものが非常に地球的でそれこそ悟りに至っていないと公言しているのでは・・・と感じるようになりました。
そんなこんなで、たまに”あゝこの方はとても進んだ考えや意識を持っていらっしゃるなあ”と感じることがあるのですが、そういう方はやはりプライマリーが時間軸的には未来にあるのだなあと言うことで私の中で腑に落ちています。
この未来と言うのはノウイングスクールではお馴染みのユニティの世界ということなのですが、これから人類の意識状態はユニティ(合一)へ向かうと言われていますが(かなり先のことです)、今この時代にもすでにその意識で生きている方が最近増えているのを感じています(特に若い方)。
その感覚は私にとってはとても当たり前の心地の良いもので、そんな方に会ったり、また見かけたりすると勝手に嬉しくなってしまいます。
ただやはりまだ今の時代はそんな方にとっては耐え難いと感じるような出来事も少なくないのが現状ではないかとも思います、そうなるとプライマリーから外れてしまうことがあるのですよね。
私も若い頃は外れていた期間が長くありました。生きるのに耐え難い日常が続いているとそれはある意味救護措置でもあるので、どうしてもそうなってしまいます。
でも、良いことも悪いこともそれだけが長く続くと言うことはなく、いつか終わります。
それを呪文になんとかやり過ごすと言うのも一つの手だなと、そして可能ならばイマジネーションの世界に逃げてみると言うのもまた良いのではないかと思う最近です。
心理療法の中でもイメージの世界というのはとても治癒的な働きをすると言われています。
フランクルの「夜と霧」の中でもそんな描写があったような気がしますが(気のせいだったらすみません)身体拘束はできても、内面のボディであるイマジネーションだけは誰にも拘束できません。
自由なイメージを思い浮かべて自分を包みこみ、解放していけると良いなと思います。
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