前回↓からの続き
私の人生を面白がって読まれる方がいるのか・・・だんだん飽きてくる頃かとは思いますが、誰かのためにと言うよりは忘備録なので続けてみます(笑
まだ下の子へ授乳中だった時期に東京のスクールへ通い出してしまった私・・・。もう帰りの新幹線では胸はパンパン、母乳パッドも水分を吸ってしまいタオルを二重に巻いたりして何とかやり過ごしていたような・・・記憶が蘇ってきました。
それでもスクールは毎回刺激的で面白く、雑学よりもとにかく実践実践の日々でした。
家では毎日2時間、ランニングエナジー(通称:ランエナ)と呼ばれる手法でエネルギーを全身に回して行きます。(必須の宿題)
これが要はセルフヒーリングとなっていて、とにかく自分のエネルギーは常にクリアーな状態にしていること、自分のエネルギーをしっかりと所有していること、頭の中心にいること、を徹底的に叩き込んでいきます。(スクールではこの2時間のランエナを毎日、2年間続ければ”誰でもリーディングができるようになる”と言われていました→それはそれで中々のハードワークΣ('◉⌓◉’))
年子の育児中でしたので、この2時間を確保するのが当時は中々難しく、日中はほぼ不可能だったため娘たちを寝かしつけた後、夜中に起きてトイレに2時間こもってやることがほとんどでした。(まだ若かったので体力があった)
しかしこのランエナ、もちろんエネルギーワークなので色々なことが起こります・・・。一番恐ろしかったのは、落武者が襲って来た時でした・・・。夜中のトイレで一人きり、声も上げられず、助けも求められず、しょうがないのでランエナを中止してことなきを得ました・・・(元々怖がり:苦笑)
こういった目に見えないことの色々もありましたが、エネルギーを動かすと言うことはさまざまな変化をもたらしますので、もちろん現実の生活にも変化が起こるようになりました。
その中でも一番大きかった変化は、「九州へ引っ越すことになった」・・・ということでしょうか。。
地元に生まれ育って32年間、3泊4日修学旅行(と友人との旅行)以外で市内から出たことがなかった私ですが、どうもこの土地に長く住むというイメージは湧かず、ここに一生住むのかと思うと何か”人生終わった・・・”と言う感覚がやってきてしまい、少しの外出や温泉旅行から自宅に帰ろうと思うだけでも憂鬱で仕方がないと言う毎日を送っていました。
いつかここから出たいと思っていた矢先、東日本大震災が起こります。
そしてその後から飲み水がおいしくなくなり、娘たちが頻回に鼻血を出すようになりました。スクールはそこから半年間お休みとなり(東京の安全性の確認とクラスの仲間内で故郷が被災された方がいらした)私はここに住んでいてはいけないのではないかと思うようになっていました。
そして震災発生から半年後、夫の転勤が決まり、私たち家族は九州へ引っ越すことになりました。
クラスは再開していましたが卒業まであと数回となっていたので、九州から飛行機で通うことになり、その後無事卒業することができました。
さて次からは九州編です・・・
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