フラワーエッセンスって・・・?

前回の記事↓から・・・の続き


 彼は恐らく日本で一番エッセンスを個人所有している人だったのではないかと今でも思っています。約2千種類ほどのエッセンスが棚に所狭しと並んでいました。

セラピールームに通い始めの頃は”Oリング”と呼ばれるものを使い、彼のサポートを受けながら今の自分に必要なエッセンスを選んでいきました。多い時には10本近く選ばれることもよくあり、それらをトリートメントボトル(またはドーセージボトル)と呼ばれるものに数的垂らし、数日間から数週間程度摂取していきます。

 この過程が当時の私には本当にありがたいもので、毎回自分の中にある感情や、現実での出来事で揺れる心に対して、一体どんなエッセンスが選ばれるのだろうとワクワクしていました。そして選ばれたエッセンスの意味を読んだり、エッセンスを取って行くことで自分の内側が今度はどう変化して行くのか、どんな気づきがあるのか、それを観察することの面白さを実感する日々でした。

エッセンスの説明を読んでいるだけでも癒しが起こるのを感じていましたが、エッセンスのエネルギーが自分の中に入ってくることで起こるさまざまな反応は筆舌に尽くし難いもので、それは確実に私の中の感情面だけにはとどまらない大きな何かを変化させていました。


 加えて彼が定期的に開催していたエッセンスのお茶会では、そこに集まった人たちとサークル活動のようなことをしていて、流星群を見に行ったり、ヒーリングやリーディングをし合ったり、今で言うパワースポット巡りをしたり、クリスマスパーティーを開催したりと楽しい時間を過ごしていました。

エッセンスに興味を持つような方たちでしたので、皆さんピュアで優しく、私はそこで一番年下だったこともあり、今までのことを全て曝け出しても温かい眼差しで受け入れてくださり多くの癒しをもらっていました。

 その中でも大きなイベントだったのが、長野冬季オリンピックの会場だった建物を貸切って、少し前でいうところの「スピコン」のようなイベントを皆で開催したことでした。

エッセンスの輸入元会社以外にも、スピリチュアル界隈では名の知れた会社を東京から何社も招致し、色々な療法を提供する個人ブースも多く儲け、コンサートホールではKONISHIKIさんや山川紘矢さん亜希子さんご夫妻などのゲストも呼んで来場者数は1,000名を超えるものでした。

4年間続いたイベントで、私はそのうちの第1・2回目のみのお手伝いでしたが、何か大きな達成感のようなものを初めて味わった瞬間でした。

この頃はまだ情緒的には不安定なところもありましたが、仕事をしながらエッセンスの創始者が来日すると聞けば東京まで講座を受けに行き、その他にもゴスペルサークルやサルサなどの音楽活動にも参加したり、それまでの人生では考えられないような、やりたいことが沢山あって楽しい!と思える時間を過ごしていました。


続く・・・





iromogusa

兼業ものぐさ主婦の徒然日記

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